ご存じですか? 「調理補助」 パート、アルバイト可能ですよ!

「え?。調理補助?」初めて聞いた言葉でした。

 

この様な仕事があるとは全く知りませんでした。藁をも掴む状況の中

で偶然出会った仕事。

 

あれから間もなく1年半、何とかやり続けています。

 

傘寿もそう遠くない自分ですが、身から出た錆、めげずに挑戦しています。

 

 

後期高齢者証が翌月届くというある日。食堂で昼食中、突然携帯が鳴

る。工場の責任者から、持ち場に直接戻らず、私の所に寄ってくださ

い。

 

 

何時もの様に、食後の雑談でもしたいのかな。部屋をノック。いつも

と違い、少し硬い表情。

 

瞬間。 「来たな!」と思う。

 

5年程、この高齢にも拘わらず、格別のご配慮で仕事をさせて戴きま

した。かっての私の企業の御担当者、時が経ち実績で責任者に栄達さ

れていました。電車の中での、偶然の再会。

 

窮状を察し。社則では全く無理な私に、何とか算段して職場を作っ

てくれたのです。

 

日本の機械産業の中でも代表的な,歴史ある企業。これ以上の個人的

配慮は不可能。

 

切り出しにくそうな表情がかいま見えました。

 

私から「長い間、ありがとうございました」と申し上げました。

 

ほっとした様子で、「こちらこそ」との笑顔。

 

この瞬間がいずれ訪れるとはその前、半年程前から覚悟をしていました。

 

 

さてどうしよう。お陰様で5年間。久振り多少落ち着いた時を過ごさ

せていただきましたが、蓄えは殆どなく、子供はまだ小学生。

 

ある日、自動的に後期高齢者の括りの中に投入されました。

 

結果。職探しは全く不可能。当然のことですが!。

 

1人になって初めて気が付きました。企業としては、産業分野及び科

学技術省等よりの公的分野でそれなりの実績を揚げてきた積りでした

が。1人になると全く何も出来ない。自分でやってきたと勘違い

していたのです。 「この大馬鹿者!」。今、やっと気が付いたのか!

全て社員の皆様の結集があって初めて出来たことでした。

 

その後、求人誌、新聞,チラシ等、目を皿の様にして探しました。電

話数十件。話が順調に進んでいても、最後年齢の点になると「ガチャ

ン」。とりつく間もありません。

 

 

ある日。突然、降って湧いたような「調理補助」。

 

居住する集合住宅。子供の事を聞かれて話をしていた、よくお世話に

なっている方。

なんとなく仕事の話になり、求職中と云うと。「すぐ近くにあ

りますよ、職種を選ばなければ。職場は歩いて15分程。」

「え?。15分?」

老人ホームでの調理補助の仕事でした。

 

仕事内容は全くわかりませんが、取り敢えず,早速電話。 

本社担当者から面会していただけるとの連絡。

 

前記企業での社食はキャフテリア方式で毎日おいしく戴きながら

も、何も見ていませんでした。 

前提知識はなにも無し。見ていれば多少の参考になった事とその時、思

いました。

 

大規模な食品関連企業の生産ラインの合理化は何度も手掛けていまし

たが、手作業での料理の現場は見たこともありませんでした。見当も

付きません。 

 

2日後、現場の老人ホーム厨房で本社からの担当者と面接。 

仕事内容などの説明を受ける。私の年齢が引っかかる様でしたが、欠

員補充を優先したのでしょう。翌々日採用決定のご連絡いただく。

 

60を過ぎて初めて家庭を持つまで、企業のことしか考えたことなく、

シングルでありながら包丁を持った事は殆どない自分。務まるかどう

か疑問でしたが、他に方法は無し。多少の不安。早速翌週から勤務。

 

幸い。料理という行為は皆無。器の準備、盛り付け、配膳、回収、洗

浄、乾燥、整理、次の食事の準備段取り。

毎日がこのサイクルの繰り返しです。

 

自分ではまだ十分に職務を全う出来ると思っていますが、一つだけ思

い違いがありました。スピード、作業の迅速性です。

6:00時の作業開始から終了まで、考えている余裕は全くありません。

 

手、足等全ての体の機関に敏速、正確性が要求されます。今、私は

割り切って、痴呆防止に最適業務(笑い)と敢えて自分を納得させ,

しばらくこの仕事を継続して行くつもりです。

 

 

また、この年齢になって皆様からは笑われるでしょうが、生活の安定

目指し、次へのステツプへの試練の一つとしてこの仕事を捉えていま

す、更に,次のステージへ飛躍するためのスプリングボードに上るには多少

の軍資金が必須です。その為に挫けずこの仕事を続けます。

 

父は質実剛健を旨としていましたが、現在の基幹産業の1部を担う経

営者であった時期(今となっては、私の人生の当初の5%ですが)私

自身は大変恵まれた生活を送らせて貰いました。今を我慢出来ます。

しかし

現在、意に反して未だに家族にたいして経済的迷惑を掛けています。

自己の反省を胸に1歩ずつ前に進みます。